昔書いてたブログを見返していたら、十代最後の日記があった。 今読むと若いなぁと思っちゃうけど、当時の世界の見え方とか少し思い出して懐かしく、思い出と証としてここに残しておく。今の私は貴女がうらやましい。 続きを読む----------------------- あと二ヶ月だけ十九歳。もうすぐで十代の私は死ぬから、十代の遺書を残す。しかし、この私がハタチなんて。誕生日が来るのがほんっとに嫌。誕生日が嬉しかったのは十七歳までだな。それ以降は恐怖と焦りだけ。魅力的な大人がたくさんいるのは知ってるけど、何も持ってない私が大人になったらもう老いるだけだ。若ければ許されたことが許されなくなる。ツインテールや肩だしワンピースが似合わなくなったように、これから出来なくなることが、どんどん増える。お酒なんて飲めなくていい。子どもの方がよっぽどよっぽど自由。今だってすでに思う。小さいころのほうが楽しかった。特権だった。 人生を子供の頃から振り返ってみる。幼稚園生や、小学生だったころ。自分のこと、ちょっと周りの子よりオトナっぽいって思ってた。小さいころから食に関して好き嫌いがなかった事とか、弟に障害があったから、お姉さん扱いされる機会が多かった事から。 ただ、そんな頃から友達は少なくて、学校で話す人はいるけど、わざわざ休日に約束して遊ぶような友達はいなかった。それも、当時は自分、少しだけお姉さんだから、気の合う人がいないのね、なんて思ってた気がする。 中学生になって、ほかの小学校からもたくさん人が来て、新しい人間関係を一から作り直さなきゃいけなくなった時、私のあらゆる劣った点がみえはじめた。友達がいなかったのは、別に私がませてたからじゃなくて、私に友達を作る能力がなかったからだった。勉強しなかったから成績は途端に悪くなったし、部活には行かなかったから先生からよく思われてなかった。小学生の頃は自分に自信があったけど、中学生になったら、勉強も、運動も、お友達作りも、先生から受ける評価も、周りが自分より優れた人ばかりで、自分に対する評価がかなり下がった。荒れたのはたぶんこの頃からで、泣きわめいてリストカットして怒られたりしてた。 高校に入ったらお友達作りに悩むことはなかった。というか勉強以外での悩みはほとんどなくなった。クラスのみんな、内心では他人に対してそこまで興味無くて、だからみんな優しかった。みんなの一線を引いたような距離感が好きだった。高校生なのにみんなの興味はお友達作りやお出かけじゃなくて、勉強にあった。お弁当も、席をくっつけたりしないで、教科書を見ながら食べてた。三年間クラス替えが無いのが良かった。いい先生ばかりだった。毎週毎週小テストの成績を一覧にして張り出すのは嫌いだった。あと世界史の先生。 奨学金で入学して、所謂自称進学校(笑)のお受験クラスだったから、一年の時から大学の話ばかりでびっくりした。幼稚園生の頃から絵を描く仕事がしたいと思ってて、小学校の卒業式では「漫画家になります!」なんて言ったのだけど、高校入ったら夢とかそういうの、言ってられない年齢なんだなって気付かされて恥ずかしくなった。 だから、夢だった道を諦めて、勉強を頑張っていたのに、クラスの中から美大を志望する子がでた時は悔しかった。芸大に行くからと勉強をまじめにやらないことを公言する子もいた。こういうの含めて、今思えば本当に、受験は自分との戦いだったなって思う。自分の将来を決める大事な時に、私は弱い意志で目の前のことだけでいっぱいいっぱいだったから、夢を持って受験に挑んでたライバルには簡単に負けた。 受験は第一希望は受からなかった。私は福祉の仕事が合ってると思っていたから福祉を学べる大学を希望してた。有名な大学だったから文句無いだろって思ってたし、家から近かったし。でも一方で、自分の肌に合ってるのは女子大だってずっと思ってたから、第二希望の女子大に通うことになっても普通に嬉しかった。当時の自分は高校にうんざりしていて、ださい制服を脱いで早く大学で楽しいお友達欲しいなって、きっとどこの大学でも嬉しかった。自由に絵を描けるだけでも楽しみだった。 楽しみにしていた大学で友達は出来なかった。勇気が出なくてサークルにも入れなかった。授業には落ちこぼれた。高校の授業と全然違くて。ディスカッションばかりだったから、そういうの苦手な私は授業の度に動悸が激しくなってつらかった。常にどこかの授業でレポートが出るから休日はほぼ課題でつぶれた。休み時間はいつもツイッターしてた。お昼を一緒に食べる人がいないから、人目が気になってトイレで食べたりした。授業に、学校生活に、ついていけなくて苦しくて、頑張る元気も湧かなくなった。泣かない日が無かった。劣等感を感じるためだけに大学に行くような日々だった。学校にいる間は勿論だけど、家に帰ってもつらかった。でも朝の電車が一番生きた心地がしなかった。周りは忙しそうにしながらも、友達に囲まれて充実した学校生活を送っているのに。私は授業の度、発言で恥をかいて、休み時間は楽しそうな話し声をききながら、でも耐えて真面目を貫いたのに、成績は良くなかった。覚えてないけど、「ダメではない」みたいなやつばっか。四年間と四百万支払って、就職活動する為にここにいるんだなって。今っておそらく人生で一番きれいで、健康で、どこへだって行ける。何をするにも、何も諦める理由はないのに、毎日泣きながらでも、通い続けたほうが、いいの?って思いながら過ごしてた。ただ自分が選んだ道だったからその責任をとるように過ごした。死にたいって言いすぎて、親にたくさん迷惑をかけた。心底辞めたかったけど、その当時就職だとか、将来について毎日悩んでいたから、大学を辞めたら人生が終わる気がして、葛藤してた。 結局大学は退学した。精神的に、通い続けることが出来なくなった。原因は私の能力が大学が求めるレベルに見合っていなかったから。ついていくのに必死で、それ以上のことは手につかなかった。本当に、社会不適合だと思った。大学なんて、お願いして、あるいは通うために自分で稼いで、行くような場所なのにさ。人が当然のようにこなす事が、とてつもなく難しい事のように思える。良くも悪くも、「手を抜く」という事が昔からどうしてもできなくて、課されたことは何もかも完璧にこなそうとしてきたけど、ついに私に課されるタスクの平均レベルが、私の能力値を超えたのだと理解した。大学に入ってからは毎回、合格ラインの下にいて。インターネットくらいしか居場所がなくて、本当に本当につらかった。どうやって逃げようかなって、死ぬことばっかり考えてた。私は小さいころから今まで、逃げ癖が本当に酷いから。大学やめたことは親以外の誰にも言えてない。親が、わたしにかけてくれた期待を裏切ってしまった。これからの人生で償わなきゃならないのに、私には何もないです。あんなに、絵が絵がって言ってたのに、絵も別に得意じゃないし。 いつからこんな落ちぶれた人間になっちゃったのだろうって思ってたけど、こうして見るとやっぱり、ずっとダメな人間だったね。少し自惚れてただけだ。それに、若ければ若いほど、やり直しがきいたかもって、それだけ。少し頑張れば平均点がとれちゃう人たちが羨ましい。大学を出て恋愛して結婚して子供作るんだろうって子供の頃は当然のように思ってた。お腹を痛めて生んだ子が、私みたいなので本当にごめんなさい。でも、ほかでもない美優ちゃんで良かったって思ってほしいよ。どうすればいいんだろう。まだやり直せると思いたいけど、今まで言われたことだけ頑張ってたから、どうすべきかわからない。二十代の終わりに書く遺書にはなんて書くのかな。怖い。このまま廃人になってる気がしちゃう。これが本当の遺書になってるかも。 #遺書畳む 2025.12.8
今読むと若いなぁと思っちゃうけど、当時の世界の見え方とか少し思い出して懐かしく、思い出と証としてここに残しておく。今の私は貴女がうらやましい。
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あと二ヶ月だけ十九歳。もうすぐで十代の私は死ぬから、十代の遺書を残す。しかし、この私がハタチなんて。誕生日が来るのがほんっとに嫌。誕生日が嬉しかったのは十七歳までだな。それ以降は恐怖と焦りだけ。魅力的な大人がたくさんいるのは知ってるけど、何も持ってない私が大人になったらもう老いるだけだ。若ければ許されたことが許されなくなる。ツインテールや肩だしワンピースが似合わなくなったように、これから出来なくなることが、どんどん増える。お酒なんて飲めなくていい。子どもの方がよっぽどよっぽど自由。今だってすでに思う。小さいころのほうが楽しかった。特権だった。
人生を子供の頃から振り返ってみる。幼稚園生や、小学生だったころ。自分のこと、ちょっと周りの子よりオトナっぽいって思ってた。小さいころから食に関して好き嫌いがなかった事とか、弟に障害があったから、お姉さん扱いされる機会が多かった事から。
ただ、そんな頃から友達は少なくて、学校で話す人はいるけど、わざわざ休日に約束して遊ぶような友達はいなかった。それも、当時は自分、少しだけお姉さんだから、気の合う人がいないのね、なんて思ってた気がする。
中学生になって、ほかの小学校からもたくさん人が来て、新しい人間関係を一から作り直さなきゃいけなくなった時、私のあらゆる劣った点がみえはじめた。友達がいなかったのは、別に私がませてたからじゃなくて、私に友達を作る能力がなかったからだった。勉強しなかったから成績は途端に悪くなったし、部活には行かなかったから先生からよく思われてなかった。小学生の頃は自分に自信があったけど、中学生になったら、勉強も、運動も、お友達作りも、先生から受ける評価も、周りが自分より優れた人ばかりで、自分に対する評価がかなり下がった。荒れたのはたぶんこの頃からで、泣きわめいてリストカットして怒られたりしてた。
高校に入ったらお友達作りに悩むことはなかった。というか勉強以外での悩みはほとんどなくなった。クラスのみんな、内心では他人に対してそこまで興味無くて、だからみんな優しかった。みんなの一線を引いたような距離感が好きだった。高校生なのにみんなの興味はお友達作りやお出かけじゃなくて、勉強にあった。お弁当も、席をくっつけたりしないで、教科書を見ながら食べてた。三年間クラス替えが無いのが良かった。いい先生ばかりだった。毎週毎週小テストの成績を一覧にして張り出すのは嫌いだった。あと世界史の先生。
奨学金で入学して、所謂自称進学校(笑)のお受験クラスだったから、一年の時から大学の話ばかりでびっくりした。幼稚園生の頃から絵を描く仕事がしたいと思ってて、小学校の卒業式では「漫画家になります!」なんて言ったのだけど、高校入ったら夢とかそういうの、言ってられない年齢なんだなって気付かされて恥ずかしくなった。
だから、夢だった道を諦めて、勉強を頑張っていたのに、クラスの中から美大を志望する子がでた時は悔しかった。芸大に行くからと勉強をまじめにやらないことを公言する子もいた。こういうの含めて、今思えば本当に、受験は自分との戦いだったなって思う。自分の将来を決める大事な時に、私は弱い意志で目の前のことだけでいっぱいいっぱいだったから、夢を持って受験に挑んでたライバルには簡単に負けた。
受験は第一希望は受からなかった。私は福祉の仕事が合ってると思っていたから福祉を学べる大学を希望してた。有名な大学だったから文句無いだろって思ってたし、家から近かったし。でも一方で、自分の肌に合ってるのは女子大だってずっと思ってたから、第二希望の女子大に通うことになっても普通に嬉しかった。当時の自分は高校にうんざりしていて、ださい制服を脱いで早く大学で楽しいお友達欲しいなって、きっとどこの大学でも嬉しかった。自由に絵を描けるだけでも楽しみだった。
楽しみにしていた大学で友達は出来なかった。勇気が出なくてサークルにも入れなかった。授業には落ちこぼれた。高校の授業と全然違くて。ディスカッションばかりだったから、そういうの苦手な私は授業の度に動悸が激しくなってつらかった。常にどこかの授業でレポートが出るから休日はほぼ課題でつぶれた。休み時間はいつもツイッターしてた。お昼を一緒に食べる人がいないから、人目が気になってトイレで食べたりした。授業に、学校生活に、ついていけなくて苦しくて、頑張る元気も湧かなくなった。泣かない日が無かった。劣等感を感じるためだけに大学に行くような日々だった。学校にいる間は勿論だけど、家に帰ってもつらかった。でも朝の電車が一番生きた心地がしなかった。周りは忙しそうにしながらも、友達に囲まれて充実した学校生活を送っているのに。私は授業の度、発言で恥をかいて、休み時間は楽しそうな話し声をききながら、でも耐えて真面目を貫いたのに、成績は良くなかった。覚えてないけど、「ダメではない」みたいなやつばっか。四年間と四百万支払って、就職活動する為にここにいるんだなって。今っておそらく人生で一番きれいで、健康で、どこへだって行ける。何をするにも、何も諦める理由はないのに、毎日泣きながらでも、通い続けたほうが、いいの?って思いながら過ごしてた。ただ自分が選んだ道だったからその責任をとるように過ごした。死にたいって言いすぎて、親にたくさん迷惑をかけた。心底辞めたかったけど、その当時就職だとか、将来について毎日悩んでいたから、大学を辞めたら人生が終わる気がして、葛藤してた。
結局大学は退学した。精神的に、通い続けることが出来なくなった。原因は私の能力が大学が求めるレベルに見合っていなかったから。ついていくのに必死で、それ以上のことは手につかなかった。本当に、社会不適合だと思った。大学なんて、お願いして、あるいは通うために自分で稼いで、行くような場所なのにさ。人が当然のようにこなす事が、とてつもなく難しい事のように思える。良くも悪くも、「手を抜く」という事が昔からどうしてもできなくて、課されたことは何もかも完璧にこなそうとしてきたけど、ついに私に課されるタスクの平均レベルが、私の能力値を超えたのだと理解した。大学に入ってからは毎回、合格ラインの下にいて。インターネットくらいしか居場所がなくて、本当に本当につらかった。どうやって逃げようかなって、死ぬことばっかり考えてた。私は小さいころから今まで、逃げ癖が本当に酷いから。大学やめたことは親以外の誰にも言えてない。親が、わたしにかけてくれた期待を裏切ってしまった。これからの人生で償わなきゃならないのに、私には何もないです。あんなに、絵が絵がって言ってたのに、絵も別に得意じゃないし。
いつからこんな落ちぶれた人間になっちゃったのだろうって思ってたけど、こうして見るとやっぱり、ずっとダメな人間だったね。少し自惚れてただけだ。それに、若ければ若いほど、やり直しがきいたかもって、それだけ。少し頑張れば平均点がとれちゃう人たちが羨ましい。大学を出て恋愛して結婚して子供作るんだろうって子供の頃は当然のように思ってた。お腹を痛めて生んだ子が、私みたいなので本当にごめんなさい。でも、ほかでもない美優ちゃんで良かったって思ってほしいよ。どうすればいいんだろう。まだやり直せると思いたいけど、今まで言われたことだけ頑張ってたから、どうすべきかわからない。二十代の終わりに書く遺書にはなんて書くのかな。怖い。このまま廃人になってる気がしちゃう。これが本当の遺書になってるかも。
#遺書畳む